vol.79 いる
スーザンさんからのお便り②
・本当の数学について
・インドでの覚醒のエピソード(触りのみ)
・真我を抜けようと願うエネルギー
・月読之大神と交わした究極の問答
はい、こんばんは。今日も非常に皆さん勉強になると思いますが、スーザンさんのご質問。
かわかつ「ハハハハ」
どうしたの
かわかつ「会長が笑顔だったんで」
僕が笑顔?
今ねちょっと休憩があったんですけど、休憩の間、ちょっとためになるお話をして、映像部長とWeb漫画コミックの編集長もおられるんですけども、2人の楽しいエピソードをお聞きして、すごい楽しくなりました。
はい、ではスーザンさん。そのまま、楽しい思いのまま行きましょう。
(注:前回からの続きです)
『⚫︎つまり「フラクタル」ですねと(質疑応答15、p322)』
そうですね。スーザンさんが解明していただきました
『といったニュアンス(部分と全体が同じものであるという意味)で、 同じものと捉えた方が正確なのではないかという感じがしております』
本当にその通りで、 フラクタルに関しても、みんな、なんか単なる繰り返しみたいな感じで言ってくる方もおられますけども、僕は違うと思うんですよ。
そんな浅いもんじゃないです。多分スーザンさんは感じておられるし、数学者の方も、 だから一生懸命難しい数列をこう並べて勉強しておられるんだと思うんですよね。
だから、その辺のことをもっと勉強していただいて、学んでいただいて、僕らにフィードバックしてもらう。
フラクタルってのはこういうものなんだと。で、それは僕らの生活あるいは僕らの考え方にこういう風に反映できるんだよ、ということ。
スーザンさんならできるような気がしますよね。
僕は数学が苦手なんで、 小学校の高学年あたり、中学校、高校あたりですよね。では、もう数学とか物理学を優しく解決、解説してくれる本をむちゃくちゃ読みましたよね。うん。探して。あんまないんですよね、当時はね。
直感がすごいんですよ、僕は。この人は正しいこと言ってるのか、間違ったこと言ってるのがあったらすぐ分かるんで。
大体の物理学者とか数学者はちょっと変なんですよ、やっぱり。ただ、すごい物理学者とか、すっごい、例えばノーベル賞とったとか、湯川さんとかね、朝永さんとか、そういう人は 軽口で喋ってることとかでも、なんかビーンと来るんですよ。深いこと言ってんですよね。 (※湯川秀樹、朝永振一郎)
分かるんですよ。なるほど、そうだったのか。
でも教上で学んだような人、要するに教授になるだけとか、なんつうの数字だけで学んだ人かな。それか我々の生活にどういう関係があるのかっていうとこを外して、ただ単に頭だけで、数字だけで学んだ人ってのは、全然僕の頭入ってこないんですよ。入ってこないし、どうも違うなっていう感じがあって。
だからスーザンさんにはその有機的な理解ですよね、それが本当の数学だと僕は思うんですけども、後でちょっと、 もうちょっと説明したいと思います。
『質問③宇宙全史1、p.455にて、
⚫︎そして認識そのものが二元性の原理に基づいて起動するものなのです。
(自分があって認識すべき対象物があるという状況において初めて認識が成り立つものです。)とお教えいただいており』
その通りですね。
そう言ってたんでしょう、私が。私っていうか古川がですね 。
『また一方で、動画50にて、
真我の外(深淵)からであれば、真我を観ることが可能とご解説頂いておりますが、真我を観ている際には認識という機能が働いており、二元性が生じているのでしょうか?』
これね、ものすごく難しいです。
私の認識は実存止まりです、実は。真我にどっぷりと入ったことがないです。
その手前までは行ってます。(注:「実存」は「真我」の手前の概念です)
でね、これを喋ると長くなって誤解されると嫌だから、あんまり今まで喋ってこなかったんですけども、 あそこで喋りたかったんですよ。虚空蔵東京本かな。もう書くことがだんだんなくなってくるんだよ、虚空蔵東京本ね。まずいな。うーん。
ある時期に、あのね、バタバタバタっと色々ね、色んなことが降りてきた時期があって。
インドとか、オランダとか、ロシアの上空飛んでた時とかね、 色んな覚醒があったんですよ。バンバン、バンバンバンって。UFOとかもよく見たときね。
UFOを見たから覚醒があったわけじゃないですよ。そういうゾーンに入ってたから、たまたま見た。別に見なくてもよかったんだけど、見てしまったって言った方が早いかな。ついでに見たっていうか、ついででもないな、見るべくしてみたんだけども、どうでもよかったわね、UFOはね。そうじゃなくて。
書いたこともあったかな。「1万メートル上空の覚醒」っていう、なんかブログみたいの発表してないかな。
発表したかもしれませんけどもね。
ロシアの上空で、今はソビエトですね。当時はソビエトだったかな?
どっちでもいいや、場所は一緒だからさ、大体。ユーラシア大陸の北の方ですね。ユーラシア大陸の上空で覚醒したのは1回と、 あとインドでも覚醒してますね。
インドの覚醒が実存に近いような、真我に近いような覚醒で。
それはやっぱ、うん、誤解されるからな。虚空蔵東京本で書くか。すごかったですよ。
一緒に行った人が何人かいたんですよね。「声」ってのがいて。
(コスプレ声:女性のコスプレタレント。まんだらけ梅田店に入る。コスプレで人気が出て、同店よりコスプレ緊縛写真集『人間時計』ビデオ『映像人間時計』を刊行)
声はまんだらけのコスプレで、僕の彼女の写真集を撮ったんですけども。あと2、3人男性がその写真集を撮るために行ったんですよね。
声をインドで撮りたいってことで。インドの浮浪者とか居るじゃないですか、それと一緒に撮ろうということで。あと、いろんな場所行って撮ろうと。撮ったんだけども、 色々事情があってですね、それ出せなかったんだけども。
その時のそのインド、あれは亜大陸なんですよね。インド大陸なんだけども、インド亜大陸って僕は当時言ってたんですよ。亜ってのはなんつうんだ、後で説明するわ。
(インド亜大陸:インド半島とも呼ばれ、南アジアのインド・バングラディシュ・パキスタン・ネパール・ブータンなどの国々を含む亜大陸・半島。かつては独立したインド大陸であった)
でね、そん時ね、ドミトリーか、なんか普通のホテルより全然安っぽい、そのドミトリーの屋上で覚醒が来まして。次々と来たよね。
今、喋れることはね、1つあって。その実存の覚醒じゃなくて、恐ろしい覚醒もあったんですよ。 変なとこに行ってしまうギリギリの覚醒っていうのがあったんですよね。
それはまたいつか別に話しましょう。今日はスーザンさんなんで。
『真我を観ている際には認識という機能が働いており、二元性が生じているのでしょうか?』』
うん、だから私はこれ分かりません。
月(つく)さんから、月読之大神から教えて頂けますけども、 そこはね、きちんと教えてもらえないです。認識があって、 真我を見下ろすことができるのかどうかっていうのは教えてもらえないです。
なんでかっつうと、その段階に行ってないからですね。まずは真我に入れよということですね。
二元性を持ったまま。
二元性を超えたら多分理解できる、その認識がまたあるんだと。
実存近くまでいったら、二元性を超えた理解っていうのはあるんですよ、僕にも。
だからいくらでもこう喋れるし、みんなにもレクチャーできるわけじゃないですか。でも、真我に入らないと。真我を超えたところの認識?理解?って言ったらいいのかな。認識って言うと今日は誤解が生じるからおかしいんので、理解ですよね。理解が。
分かるかどうかはまた別ですよ。いいですか。なんで分かるかどうかっつうと、分かりたいと思うかどうかっていうエネルギーの働くかどうかなんですよ。
真我に入ってしまったら十中八九、
何億人、何兆人、何兆っていう魂が入ってますけども、本当にそっから抜けでたの3つしかいないんですよ。
だから、それより外を見てみたいとか、そこより上に行きたいって願うエネルギーっていうのは3つしかない。なかったの、今まで。
だから、まず皆無ですよ。そこで満足しちゃう、みんな。誰もそれより上を認識したいとは思わない。
ましてや、人間界にいてそこを本当に覗いてみたいと思う人間なんてのは、古川を除いていないでしょうね。
だから想像もできないですよね。皆、どんなもんですかって、どんな感じですか、とか軽く言うけども、 それこそ臍が茶を沸かすっていうやつですね。
もうちょっと宇宙全史を勉強しましょう。せめてスーザンさんぐらい勉強してから質問しましょうっていう感じですね。
だから、あの質問がアップされてるかどうか、ちょっと分からんねえ。
(※アップされませんでした)
皆ちょっと、もしアップされて無かったら、わからない、なんのこっちゃいって感じで聞いておられるかもしれませんけどもね。うん。
『宇宙全史のワークでは、肉体の死後、集合魂からも自由になり、個性を持ったまま自由の身になってしまう覚醒も示唆していただいておりますが、 フラクタルという概念に注目しますと、真我に埋没せずにそこから抜け出た方には、「私」という存在、 (個性?あるいはアイデンティティ?)があるようにも思われましたと。』
個性はあるかどうかわかんないけども、アイデンティティはありますね。
これは、あるという風に。
あるというよりもね。
難しいんだよ、これはね。スーザンさんだからお答えしますけども。(※究極の問答)
もう時間なのか、じゃあこれが最後の答えだね。
「真我を超えた存在はあるのでしょうか?」と昔、宇宙全史の初期の頃ですけども、月読之大神に聞いたことがあります。
その時ずーっと考えておられて、降りてきた答えが「いる」っていうんですね。
「いる」っていう答えが降りてきました。あるでもなし、存在するでもなし、「いる」でした。
それを聞いて皆さんはどうお考えかわかりませんけども、その時私はむちゃくちゃショック受けたんですよ。
うーん、でね、なんでこうゆうこと喋るのがあんまり嫌だっつうと、そのショックが多分伝わんないと思うんですよ、皆さん。
単なる「いる」って言葉じゃないですか。うん、なんでもないでしょ。
そこら辺になんか犬がいるとか、ゲジゲジがいるとか、魚がいるとか、金魚がいるとか、鳥が飛んでいるとか、そんな感じでしょ。
違うんですよ。
そういうふうに、1日僕は何にも考えられなかったぐらいのショックで過ごしましたよね。
だから、受け取る側がどういう境界でいて、どういう立場にいるかによって全然違うんですよ。 もうその辺の質疑応答になってくると。
だから、そういうこともあるよということで、 うん、そういう感じもあるよということで聞いておいていただきたいと思いますし、スーザンさんにはわかるかもしれんし、どうだろう。
というとこですね。質問④はまだ控えておりますけども、もう時間が来ましたので、今日はここまで。